24年前。

ヘアメークシーンからの

バブルで沸き立つ80年代後半、何をやっても長続きせず、美容室もてんてんと渡り歩き、安いし、長いし、キツイ美容師に飽き飽きして、1年間フリターをしました。
この間、昔の夢だった芸能界への憧れにリトライしようとプロダクションに登録はしたものの、中学生時代に在籍した劇団ひまわりのような手応えもなく、腐りきったまま20歳を迎えました。
お付き合いしていた年上の女性は美容師としてのキャリアバリバリ、そのパワフルな姿にうしろめたさを覚え、再び美容師の職につくことにしました。

中学1年の頃、はじめて美容室という場所に行きました。
母が通う、勤務先の病院のそばにある”美容室エリコ”。
母の紹介として訪れ、担当してくれた藤本聖子さん。10代の僕にとってキラッキラでした。

美容室エリコは町田を中心に6店舗を展開していたサロン、町田大好きな僕の再出発での勤務となり、1999年の独立までの4年半在籍しました
それまでちやほやされ続けた僕をびしっと鍛えなおしてくれた場所でした。
今ではありえない、この店の給与は基本給なし、個人売上の23%のみ、給与というか報酬制。
チラシで来店された2980円のカットのお客様を1時間かけたら時給650円。
大雪や大雨でお客様が来店されない日は1日10時間サロンで勤務して報酬ゼロ、過酷だった~。
完全な労基違反ですが、この厳しさがあったからこそ今の持続力ができたのだと心から感謝しております。
完全歩合制で生き抜く肝は何をおいても”営業力”。
なんとしても指名をつけるためのサバイバル。結果、この力がないとこの仕事を続けていくことはできないと今は言い切れます。
学ばせていただたなー、とくに成瀬店の北村先輩、今もトップスタイリスト爆走中、頭が上がらないです。。。

独立の1年前、グループの新規出店、小田急経堂ジョイフル店(現・コルティ)で店長職を経験させていただき、長男誕生を機に25歳に独立いたしました。

ちなみに、、、10歳の頃、”ノストラダムスの大予言”を小学校の図書館で読み、1999年、自分が25歳の7月に人類は滅亡するものと思っていました。
故の6月開業でした。

振り返ると、学校現場に”ノストラダムスの大予言”を置いておく当時の教育リテラシーは大問題であったと思います。。。

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