100年後の誰かに。
大江健三郎さん、坂本龍一さん、世界的な文学家、音楽家は既にこの世界には存在しません。
しかし、お2人の作品はこれからも、100年先、更に多くの人たちの心に響き続け、感動を与え、生き続け、語り継がれていくであろうと思います。
今回ご紹介する”裸足の幸福”は、非売出版品のため作品に触れる方は限定的であると思います。
この貴重な体験のストーリーが100年後にも誰かの目に触れられ、心に響き、語り継がれ、
平和と共に生き続けていることを切に願います。
不自由だと思うのはモノがあるからだ。 モノがなければ不自由は感じないものだ。
終活に向けての断捨離。
今、多くの方が悩まされています。そして、若い方々は始めています、モノに縛られない、開放というミニマム生活。
大量生産、大量消費の経済成長から失ってきた数々の大切なモノ、21世紀、人々は気づき始めました、本当に大切なモノに。
本書のこの壮絶な抑留体験から学べること。
何もなければ誰を疑うことなく豊かな心でいることができる。
ウルグアイの一国の元大統領もこのようなこと仰っていました。
国立国会図書館からの。
高橋源一郎さんのラジオ番組で国立国会図書館について取り上げていた放送回がありました。
国家に準ずる機関により設置、運営される 図書館 であり 設置・運営主体の観点から、国が設置・運営主体となる。一般的に世の中に刊行されている書籍はすべて登録されていて、amazonでも見つからない書籍も国立国会図書館には必ず蔵書してあるようです。
秋田ご出身の、某お客様の叔父にあたる著者・滑川七夫さんは満州国境付近への動員中に終戦を迎えます。1年2か月におよぶソ連軍の俘虜生活から、奇跡的に日本へ帰還を果たします。そこでの体験、記憶を忘れないため、それらを書き収めるためだけに文学を学び直し、執筆した本となります。
姪にあたるお客様は、物静かなその叔父が抑留体験を口にすることもなく、その体験が記された非売品であるこの本が、はたして国立図書館に収蔵されているのであろうか、確かめたかったそうです。
そして 蔵書されていたのです!
そんな本なのだけどよかったらとお持ちくださったことで、この1冊の貴重な本と、いえ、滑川七夫さんとの出会いとなります。
抑留の記憶という扉。
著者・滑川さんは敗戦も濃厚な昭和20年・7月に作業のために満州に任ずるのですが、そこでの勤勉な中国人捕虜に深く感銘を受けます。その実直な中国人俘虜・萬富五さんとの運命の出会いが物語の全てです。中国人俘虜に対する劣悪な日本軍の扱いに恥じる思いで接していました。
破れた衣類、裸足で働き続ける萬さんに「何か必要なものはないか?」と尋ねると
「何も不自由はない。」そう返答します。
後に自分がソ連軍の俘虜となって、萬さんと同じ立場になり、萬さんの答えの意味がわかることとなります。
シベリア抑留の過酷な体験を題材にした映画が昨年公開されました。
極寒の地での過酷な労働、奴隷としての扱い、生存して故国への帰還はほぼ不可能に近い状況でした。
滑川さんはギリギリの運でシベリアへでの強制労働は免れました、しかし、併設した極寒の中国での体験談は身体を温かく布団に包まれてではないと読み進められません。ときおり、温かい飲み物を口に運び、パンを口に運び、噛みしめ、今、この裕福な時代の現実のこの世界の中で1冊の本を読んでいるんだと、自分に言い聞かせます。そうした確認を度々行わなければ低体温症で気を失いそうになります。。。
滑川さんは奇跡的に故国へ生還することができます。
奇跡を惹き起こした力、それは、運、神仏の加護、大切な人からの祈り。
戦後、急速にアメリカの後ろ盾によって復興へと向かう日本。
極厳の抑留生活の中で共に過ごし、汚れはてたリユックと裸足の本当の幸せ抱き、帰還した故国日本は自分が思う故国とはすっかり変わり果てていました。
語るでなく、書き残すということ。
戦後、急速な経済発展を遂げ、モノに囲まれる豊かな国へと日本は復興を果たしていきます。
豊かになるにつれ薄れていく記憶、忘れていく体験。
この体験談を伝えること、それは語り継ぐこと?
様々な捉え方があり、youtubeのように映像として記録が残るわけでもない、この思いを、ありのまま後世に残す手段は。
モノに囲まれ豊かな80年代、文学もまた、光彩を放つ豊かなモノでありました。
病で療養中の淀川さんは神様が与えてくれたこの期間にと、魂の記録を書籍として書き残すために学び直し、”文学”というモノを手に入れ、1990年、上梓に至りました。
自分の体験、心の内、ありのままに伝えたい、そうした純粋な想いが文章という血と肉になり、あたかも読み手であるわたしが淀川さんになってしまう世界をつくりあげました。
凍える寒さを感じる、のどの渇きを覚える、極限の肉体疲労を感じる、迫りくる靴音と死の恐怖を感じる。
土地のにおいを感じる、人の愚かさ、怖さ、そして、優しさを感じる。。。
1日のはじまりを。
将来が見えない、現状から抜け出せない。
苦しいと思う日々、逃げ出したくなる日々、手に入れる喜びよりも失うことに怯える毎日。
争いもない、平穏なこの世界のこの国に、わたしはいったい何を求めて生きているのだろう?
そんな朝は滑川さんを思い出し
「二度と来ないと思っていた、顔を洗って始まるを1日をまた、今日も迎えられた。」
今、当たり前のこのことに感謝をして、手を合わせ。。。
お客様が来ない、体調が悪い、繰り返すギックリ腰で仕事ができない。
そんな時は、滑川さんの言っていた「神様からの素敵なプレゼント」に気づき、
与えてくださった”時間”に感謝し、ぬぼこ山神社への参拝、知識の学び直し、ブログなどでのアウトプットに取り組んでいこうと思います。
これからも訪れ続けるであろう苦しみ、そんな小さな苦しみより、かけがえのない平和な今への感謝に替え、今日も
裸足の幸福を踏み出して行こう!
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