野沢道生さんに憧れ、1年間のインターン実習を投げ出し原宿OPERAのドアを開きました。
柔らかな笑顔のスーパーター、憧れの”野沢道生”さんの後ろに、研ぎ澄まされ面持ちと小柄ながら並みならぬオーラを放つそのカミサマとの出会い。
その方は17歳の僕を”少年”と呼びました。
カミサマは言います、「少年は野沢さんに憧れてうちに来たから、俺は関わらないよ。」
そう言いながらも伝説サロン・ZUSSO時代から若手への愛と情と育成に定評があるカミサマは少年の僕を放っておくことはできなかったようです。
「うちに入った新人の1発目のヘアスタイルは俺がカットするのが習わしだよ。」
憧れの野沢さんより先にそのカミサマが僕の髪を、無言でハサミが踊るように、ヘアスタイルを仕上げてくださいました。
前髪の両サイドを長めに残したベリーショート。我ながら、、、なんてイケてるヘアスタイルなんだ。。。
「少年、OPERAのフロアーに立つということは、みんなに見られている、ヘアステージの上にいるつもりで姿勢を正していろ。」
「少年、裏で洗濯なんてしないでいい、お前はとにかくフロアを泳いでろ、お前に仕事なんて求めていない、OPERAの熱帯魚でいいんだ。」
。。。喜ぶのか悲しむのか、温かいのか恥辱なのか、頭の悪かった僕にはよくわからなかった。。。
いよいよカミサマの頭をシャンプーをさせていただくことになり、あらゆる場面に神経を使いまくるカミサマのヘアは28歳にして超薄毛で
「少年、うちはどこにも負けないシャンプーをさせてる、ただし、見ての通り俺の髪は貴重だ、1本も抜けることなく、気持ちのいいシャンプーを俺にしろ。」
間違いなく障害で1番緊張したシャンプーとなりました。。。
終えてみると、シャンプー台を起こしてもカミサマの首が起きず
「おッ、寝てたわ。」 とくに評価のお言葉もなくそれで終わりました。
カミサマをはじめ、憧れの野沢さんにも、地方から夢を追いかけ上京してきたバリバリの諸先輩方にもかわいがっていただいたのに、、、
僅か1か月、原宿という戦いの場所が性に合わず苦しく、町田がホームシックになり退散させていただくことを告げました。ヘタレ少年の胸の内の話をカミサマは全て聞いてくださいました。
「来月のTOMTOMのアシスタント特集の一面に出すぞ。」
「服買う金がないなら俺のやつ、毎月持ってきてやるから。」
カミサマにそこまで言っていただきながら、不届き者の僕は返事をしませんでした。
「うちは必ずビッグネームになる。お前がオペラにいたことがあると言っても、俺はお前を知らないと応えるからな。」
1991年の夏、僕へのカミサマからの最後のお言葉でした。。。
その後、OPERAからACQUAと名前が代わり、1997年、ヘアサロンではじめて日本武道館を満員にした単独ヘアショー、メインステージでカミサマは無音のステージに1人、白髪(はくはつ)のシニアエイジをシザーのみで変身させる悶絶のパフォーマンス。会場18000人の美容師の心を切り裂きました。ACQUAの起こした美容界の革命は1970年、”ヴィダル・サスーン”以来の衝撃でした。
僕のサロンワーク、”グレイヘア”のこだわりの原点です。
2022年、9月。
数々の歴史を築き上げたカミサマ美容師・”綾小路竹千代”さん、が他界されました。
「お前が俺を知っていると言っても、俺はお前を知らないと応える。」
。。。当然です。
カミサマが僕を知らないといっても、僕はずっと追い続け、これからも夢みています。
僕がいつかの少年です。
心よりご冥福をお祈り致します。
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